対談!vol.03「アルドーレ代表 木村友彦 meets 有限会社SYU代表
木山修助」
■ プロフィール
株式会社 J-DREAM 代表取締役/ 代表 木山隆雄木山 修助
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パチンコ『玉太郎』オーナー(株式会社 J-DREAM 代表取締役)

パチンコメーカーなどでの勤務を経て、父親が経営するパチンコ店へ。2004年、独立して(有)SYUを設立。パチンコ店『玉太郎』の経営を手がける。
2009年ぱちんこ情熱リーグ 初代理事長を務める。


■ 対談一覧
【vol.4】" NPO法人BS経営研究所 代表理事" 木村勝男
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【vol.3】" 株式会社 J-DREAM 代表取締役" 木山修助
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【vol.2】" 大正浪漫の足湯屋さん" 代表 野口隆雄
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【vol.1】放送作家 橋本昌人

3回目の対談のお相手は、木村と15年来のお付き合いがあるという木山修助さん。

今やパワフルな若き経営者としてパチンコ業界を引っ張る木山さんも、昔は地獄のような苦しみを味わったことがあるのだとか…。経営者ならではの苦労、努力、今後の展望などを、アツ〜く語っていただきました!


「15年前、出会ってすぐに意気投合」

木村:

木山さんと出会ったのは、もう15年ほど前のことやよね。俺が学校を卒業して、親父の会社に入ったころやから23歳のときかな。俺はパチンコ屋、木山さんはメーカーの営業マンっていう関係やった。

木山: 対談風景そう、確か空堀の店でしたよね。当時、僕は家業を継ぐ前の修業のつもりでパチンコメーカーに勤めてて、上司から「若い経営者がおるから会っとき」って言われたんですよ。若い人やとは聞いてたけど、会ってみたらホンマに若くてびっくりしました。第一印象は「子ども専務」でしたから(笑)。
木村: そっちも俺より若かったやん。年齢も近いし、すぐに意気投合して、それから週に2〜3回は会うようになったよな。仕事が終わる夜の12時くらいから近所の居酒屋で待ち合わせて、夢を語り合ってた。「将来ふたりで伝説を作るぞ!」とか言って、毎日よくあんなに話すことあったなぁと思うわ。具体的にはどんなこと話してたっけ?
木山: 大阪一のパチンコ屋を創るとか、そんなことでしたね。長時間の仕事が終わって、マグロの刺身をつまみながら仲間と夢を語る。僕にとって息抜きできる場所というか、心の拠り所でしたね。 木山氏
木村: わかるわかる。俺も社会に出てすぐの右も左もわからん状態で、同じ立場の同志がいることが心強かった。「俺らふたりで伝説を」って、今思えば青臭いけど楽しかったなぁ。
木山: 確かに(笑)。でも、もし今の自分が当時の自分に助言できるとしたら、「お前らやったら絶対できる」って言ってやりたいですよね。



「お互い離れて過ごした、人生最悪の日々」

木村: 出会ったころは業界もすごい元気やったし、頑張れば頑張るほど成果が出たよな。木山さんも実家の会社を手伝うようになって結果を出して、俺の会社も成長してて。そしたら、お互い天狗になってしまった…。
木山:

ふたりとも若かったですし。やっぱり天狗になった者同士はぶつかることも多くて、徐々に疎遠になっていったんですよね。出会ってから6年ほどで、関係が途絶えた。
木村: あれからいろいろあったと思うけど、そっちはどうやったん?
木山:

木山氏話せば長いんですけど(笑)、まず僕が天狗になる前の話から。25歳で実家のパチンコ店へ入って、当時は業績が悪かったから一生懸命働きました。おもしろいイベントもバンバン企画して頑張ってたら、お客さんが応援して通ってくれるようになったんです。売上は2.5倍くらいになり、地域トップ店になった。3年ほどで数億の利益が出ると、それから調子に乗っちゃいました。「俺はデキる経営者や」って、勘違いするようになったんです。まず、朝は店に出ない。昼にようやく出社したと思ったら、機械メーカーの営業マンと酒ばっかり飲んでる。業界の経営者はそうするものだと勘違いしてたんです。数年間そんな生活が続き、気がついたら、現場で働いてた弟と社員たちから総スカン。

木村:

うわ…それはキツイなぁ。

木山: 「兄貴、すまんけど経営から降りてくれ。兵隊は全部俺についている」って、クーデター状態ですよ。周りを見渡しても、僕の味方は誰もいない。それから鬱病みたいな状態に…。携帯電話も鳴らないし、人にも会わない。30歳くらいのときがいちばん辛かったですね。 木村氏
木村: 俺と疎遠になったあとの話やね。実は俺もそのころ会社倒産の危機を迎えてて、地獄の苦しみを味わってた。それまでは木山さんと同じく天狗やったからね。詳しくは以前の対談で話したんやけど、木山さんはドン底状態からどうやって這い上がったの?
木山:

ひとりで暮らしてたマンションに引きこもって、家族にも会いませんでした。母親が毎日弁当持って通ってくれても、ドアを開けませんでしたね。でも、母親は愛情があるから、あきらめてくれないんですよね。そんなことが1年ほど続き、さすがに根負けしてマンションを引き払って実家へ戻ったんです。もう一回やり直したいって、家族に伝えて。

木村: すぐ仕事に復帰したん?
木山: 対談風景ずっと人に会わない生活だっただけに、いきなり職場に出ると壊れてしまうと思って、まず人に会う訓練から始めました。近所の若い友達誘って、無理やり飲み歩きました。2ヵ月ほどで少しずつ人と会えるようになると、次は友だちが勝手にハーフマラソンにエントリーしたんです。「いけるからやってみろ」って言葉信じて、早朝のランニングを始めました。“健全な精神は健全な肉体にやどる”って言いますけど、あれはある意味では真実ですね。走り始めてから、どんどん調子が良くなっていくのが自分でもわかったんです。想像していた以上の好タイムでハーフマラソンを完走すると、次はフルマラソンに挑戦することになりました。
木村: フルマラソンってスゴイな。その間も、ずっとトレーニングを?
木山: 毎朝、地元でランニングを続けました。それでね、家の近くに神社があるんですが、走ってる時、境内をおばあさんがひとりで掃除するのが見えるんです。貧乏神社って呼ばれていて、地元住民すら近づかないボロボロの神社だったんですけど。で、ある日、僕もなんとなく、おばあさんの掃除の手伝いを始めたんです。最初は近所の人に、「あんた、人に頼まれてしてるんやろ。そんなんやったらご利益ないで」とか「迷惑や」とか言われてたんですけど、1年間やりつづけたら周りの人たちも神社をきれいにしようと動いてくれて、改修工事するお金まで集まったんです。
木村: それはすごいなぁ。人を動かすことができて、少しは自分に自信が持てたんとちゃう?
木山:

はい、まさに。結局、自信は行動からしか生まれへんってことに気づきました。それから職場へ復帰して、アルバイトさんたちと一緒に現場で2年間働きました。一時は人に会うことも出来へんかったのが、バリバリ働けるまでになったのは、周りの人たちが支えてくれたおかげやって本当にありがたかったですね。




「夢を共有する仲間として再会」

木村: それで、無事に独立して自分の店持って、完全復活を遂げたわけや。
木山:

木山氏いや、そのときはまだですね。心から自分に自信が持てるようになったのって、けっこう最近ですよ。今年37歳になったでしょ。僕、12歳、24歳、36歳が人としての節目やと思ってるんです。十代はとにかく親に愛情もらえる時期、二十代は社会に出て独り立ちする時期、三十代は地域や家族のリーダーとなって、周囲を引っ張っていく時期。37歳ってどういう意味があるんだろうと考えたとき、周りの人たちに恩返ししたいと思うようになったんです。パチンコを通じてみんなに「ありがとう」を伝えて、子どもたちに夢を与えていくべき年齢になったんやと。パチンコ業界で働いている人たちを輝かせるのが自分の使命なんやと思い至ったんです。

木村: なるほどね。そう思い至って、俺に連絡くれたんや。ずっと連絡も取ってへんかったのに、2年前に突然電話くれたんよね。で、久しぶりに会ったら、いきなり“パチンコ甲子園”の構想聞かされて感心したよ。会ってなかった期間、お互い紆余曲折があったけど、木山さんもいろんなことを学んだんやなぁって。
木山: この数年、法改正とかで業界はすごい苦しくなってるじゃないですか。そんなご時世やからこそ、消極的になるんじゃなくて、みんなに希望を与えるようなことをせなあかんと思ったんです。それで注目したのが“居酒屋甲子園”。全国の居酒屋さんが何百店舗も集まって外食の全国大会のようなものを開き、大いに盛り上がっているのを見て、パチンコバージョンをぜひやるべきやと感じたんです。“パチンコ甲子園”で仲間と一緒に目標に向かえば従業員さんは輝くやろうし、それを見たお客さんも元気になって、日本全体が元気になる。そういうサイクル作るのが目的。
木村:

正直、俺はその手のプロジェクトにはシビアなんやけど、今回の木山さんの企画はいけると思ってる。木山さんの熱意がみんなを動かして、俺を含めてすでに10名ほどの同業他社の賛同者がおるもんな。

木山: 対談風景夢に向かって走ってる人を見てたら、応援したくなるじゃないですか。僕も居酒屋甲子園の勉強会に混ぜてもらって、半年ほど理事メンバーと一緒に過ごしたんですよ。そしたら、夢が伝染するっていうか、自分でもやりたくなってきたんです。まず、第一段階は、“夢”と“感動”を語らせたら日本一の、福島正伸先生を大阪へ呼ぶこと。来年から12回にわたって先生の塾を開催する予定なんです。僕ばかり熱くなって先走っても仕方がないので、いろんな経営者に先生の話を聞いてもらい、“夢力”を上げてもらいたいんです。みんなが目標を共有し、やりたいことのイメージを明確にしたら、甲子園開催に向かって具体的に動き出すと思うから。夏から準備を始めて、業界がいちばんしんどい11月にドーンとやってしまいたい。ひとりでは無理やけど、みんなの力を合わせればできるはずです。
木村: 最近は、会ったらパチンコ甲子園のことばっかり話してるもんな。そこまで話せるのは真剣な証拠やし、木山さんのそういうとこ尊敬してるよ。でも、飲みに行って夜通し夢語って…って、15年前と同じことしてるやん(笑)。
木山: 木山氏まぁ、飲み屋のランクは15年前の居酒屋から少し上がりましたけどね(笑)。
木村先輩と離れてた時期は、お互いに苦労して、夢をかなえるための修業期間やったんですよ。20歳の人は子どもより人生経験が豊富やから、「勉強しろよ」って子どもにアドバイスできる。今の僕は20歳の子より人生経験が豊富やから、「夢をあきらめるな」って若い子に言ってあげたい。俺だって乗り越えられたんやから、お前もできるって。
木村:

木山さんの言い分はある意味まったく根拠がないし、論理的じゃないんやけど、めちゃくちゃ説得力がある。(笑) 頭で理解できなくても心で理解できるというか。だからみんな共感してついていくんやろな。

木村氏
木山: 褒められてるような、けなされてるような…(笑)。
木村: 褒めてるよ(笑)。とにかく、“パチンコ甲子園”を成功させたいよな。俺らの15年の総括になる事業やもんな。



「出会ってくれてありがとう」

木山:

ところで木村先輩は仕事でしんどいときってどうやってリフレッシュしてます?
同じ経営者として聞いておきたいなぁ。

木村:

どんなにイライラしてても他責にせず、自分に矢印を向けること。しんどくなって人にあたると余計にストレスが溜まるから、逆に人には優しくするように努力してる。これはうちの社員さんを見てて教えてもらったね。社員さんっていじらしいほど社長を信じきってくれてるやんか。彼らの期待に応えるには、こちらがまず社員さんを信じないといかんし、何か失敗をしても最後は許さなあかん。そんな、滲み出る謙虚さがいちばん大切(笑)。

木山: これまで神のような傲慢さで生きてきた人が、なぜまた謙虚に?
木村:

べつに傲慢でもいいんです。自分の傲慢さを受け入れること。自分を愛すこと、認めてやること。己を知らずただ傲慢なだけやと、天狗になるだけのことやから。謙虚な傲慢って……言葉はおかしいけど、そうあろうとすることで自分を高めたい。

木山: 木山氏あ、それは何となくわかります。自分を愛せて初めて他人も愛せますもんね。さっきも言ったけど、自分を認めるには行動するしかない。自分に課した小さな約束を、ひとつひとつ守っていくしかない。俺、今日もめっちゃ頑張ったぜーと思えるときは、人をプラスに見れるんですよ。俺も弱い人間やから、お前も弱くていいんだぜって。逆に言うと、社員さんが頑張ってくれるから頑張れる自分がいる。たまにね、社員さんが一生懸命働いてるのを見てて、涙出て止らなくなることがあるくらい。みんなに支えられてるから、自分がおることができるんやって、再確認するっていうか。
木村: 仲間に対しても同じやよね。君はたまにアツすぎてウザイこともあるけど、本当に君がいてくれてよかったと思う。出会ってくれてありがとうって感じ。
木山:

そんなん、何か気持ち悪いですわ〜(笑)。夢はひとりで見れるけどひとりでは叶えられへんから、スタッフや仲間と一緒じゃないとダメなんです。それも、“パチンコ甲子園”で1000店舗とか、デカイ話ばかり追いかけてるんじゃなくて、まずは自社のスタッフを楽しませることから始めてますね。マクロの大きなことより、ミクロな日々の仕事を楽しまないと。日々の積み重ねですから。

木村: 言葉だけじゃなくて、実際に行動してるからスゴイよね。何か、あっという間に時間が過ぎてしまったわ。まだまだ聞き足りへんけど、続きは飲み屋で…(笑)。今日は、たくさんエエ話をしてくれて、ほんまにありがとう。 対談風景
木山: こちらこそありがとうございました。対談じゃなくて僕の独談みたいになってしまったけど(笑)、これからもよろしくお願いします。
木村: いや、漫談ですわ。。(笑)




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