アルドーレ代表 木村友彦が日頃、考えていることや思うことを独自の目線で語ります。

2007/06/28
賄いのおばちゃん
以前のブログでも書いたように自分は18歳までパチンコ屋の2階に住んでいました。その後、このことについて色んな人から質問があったので、パチンコ屋の2階に住んでいた頃のネタをブログに書いてみます。

自分が生まれた時の住居は都島区のパチンコ屋の2階でした。お風呂はなしで便所は従業員と共同トイレ、夏になるとそのトイレの踊り場で良く行水をしたなぁ。。
また当時はとても怖そうな従業員のおっちゃん達に良く可愛がられていました。

幼稚園の自分「おっちゃん、何で風呂入ってんのに背中の絵、消えへんの?」
おっちゃん「これはな、特別な絵の具で書いたから絶対消えへんのや」
幼稚園の自分「おっちゃん、その絵の具ボクにもちょうだいや!」
おっちゃん「よっしゃよっしゃ!」

・・・とても優しいおっちゃんでした。(笑)


当時は従業員さんのご飯を作る賄いのおばちゃんにも良く可愛がってもらいました。自分の記憶の中に歴代の賄いのおばちゃんが鮮明に残っています。

?酔っ払いおばちゃん
このおばちゃんは自分は4歳くらいの時の賄いのおばちゃんです。4歳くらいだったんで記憶が曖昧ですが、とにかく酒臭かった事だけは覚えています。ある夜に酒を呑みすぎて店の前で一升瓶抱えて暴れだし、警官に取り押さえられ連行されてる場面ははっきり覚えています。今思えばアルコール中毒だったんでしょう。おばちゃん、生きてたら今80歳くらいかな?どこで何してるんやろ。

?ヨボヨボばあちゃん
この人は当時60歳くらいだったと思います。幼稚園から小学校に入学するくらいまでの期間に在職していた方です。自分はこの時は年齢的に第一反抗期、かなりわがままを言った記憶があります。母親に迎えに来て欲しい幼稚園、しかし当時は母親も店に出て働いていたので、代わりにこのヨボヨボばあちゃんがよく迎えに来てくれました。
「友ちゃん、迎えに来たで〜♪」と言われても自分は知らんぷり、「何でお母ちゃんちゃうねん!」ってゴネていました。いつも寮の部屋で仕事で疲れた肩や腕にお灸をしていました。このばあちゃんは辞めてから何度か家に訪ねてきてくれたことがあります。最後は自分が19歳くらいの時でした。この時は自分もバイトをして小金を持っていたのでお小遣いを渡すことができました。バス停まで見送ったこの時を最後に会った事があ
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